HP制作 こころに太陽 Ⅱ 震度7の記憶

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15年 

関西地方の方は、ご覧になっているかと思いますが、
年明けから流れている関西電力のCMを見て、
思わず泣いてしまいました。

コレ→ http://www.kepco.co.jp/media/cm/cm_asx/kpub0305.asx

30秒バージョンと60秒バージョンがあるようですが、60秒の方です。



今年、あの阪神淡路大震災から15年になります。
BGMはアンジェラ・アキの「手紙」・・・15歳にスポットライトが当てられた歌詞と、
15年前のあの年に生まれた15歳とを掛けているようです。



真っ暗だったマンションに明かりが灯り、歓声が上がるシーンがツボでした。




我が家でも、4日後の夜に急に電気が点いたときは、
家族全員が誰からともなく拍手をしてしまいました。

地震の翌日の夜、同じ町内のマンションの集会室に、ロウソクやら懐中電灯やらで
自治会の会合があったときに、ちょうどCMのように電気が点いたので・・・・
まさに、階段の電気がいっせいに輝きを取り戻す瞬間に立ち会うことが出来、
やはり、集まった人達から歓声と拍手が沸き起こりました。




今日の私があるのは、あの日、家族が居たから。
仲間が居たから。
同じ経験・思いをしたたくさんの人が居たから。

そして、何よりもあの街のために、たくさんの人の支えがあったから。

あの年、それぞれの立場でこの街を支えてくださった方々と、
今になって思いがけない形でお目にかかることもあります。



いつになっても、あの時の感謝を忘れないで居たいと思います。
今日、15年目の朝です。








拝啓、15年前のあなたへ

あなたの力と優しさをありがとう。
あなたの強さと勇気をありがとう。

あの日のあなたが居てくれたから、
今年も私はこの街で過ごせています。




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PTSDかもしれない 

先日の地元新聞の記事です。



新型インフルエンザ(兵庫関連)
神戸に笑顔を ホテルに文字の灯 01973688.jpg




客室の明かりで浮かび上がる「スマイル」「KOBE」の文字=31日夜、神戸市中央区、ビーナスブリッジより(撮影・山崎 竜)

 新型インフルエンザの影響で、観光客が減るなどのダメージを受けた神戸のまちに活気を取り戻そうと、ホテルオークラ神戸(神戸市中央区)は31日、客室の明かりを利用して、「スマイル」「KOBE」の文字を浮かび上がらせた。

 感染拡大に伴いキャンセルが相次ぎ、宿泊客が3割減ったという同ホテル。神戸市の矢田立郎市長による「ひとまず安心」宣言を受け、暗いムードを振り払い笑顔になろうと企画した。

 ライトアップは、年末のカウントダウンイベント以来。11~33階の計239室を使い、宿泊客にカーテンの開閉を頼んで演出した。

 同市中央区に住む会社員石田武さん(60)は「見ていると元気になってくる。大勢の人に神戸を訪れてほしいですね」と話し、壁面に浮かび上がった文字にカメラを向けていた。1日も午後7~11時にライトアップする。(小川 晶)    (2009/05/31)






この記事を見たとき、自分でもどうしようもなく身体の中心から何かが突き上げてきて・・・
子どもたちが帰宅する前の部屋で、一人で声を上げて泣いてしまいました。

阪神淡路大震災の後、電車が不通の間の通勤手段は自転車か代替バス。
最初こそ自転車通勤しましたが、「安全のため、女性社員は自転車通勤しないように」とか
お達しが出まして…実際、陥没しまくり、段差も地割れも満載な道路を10㎞超、
毎日自転車で往復は・・・当時の体力&気力でもちょっと無理。

朝は8時前に会社に着くためには5時に起きて6時には電車に乗って線路の残っている
2駅先まで行って代替バスに。。。
夜は、9時半とか10時とかまで仕事をして、代替バスの最終が10時なので、
間に合ってバスに乗っても…大渋滞!で帰宅は日付変更線越え。
終バスに間に合わずに徒歩で帰宅しても、帰宅は日付変更線越え。

当時の実家には井戸があったので、水道は復旧していなくても水にはあまり苦労せず。
ガスが戻る(4月末)までは入浴も出来なかったので、
疲れ果てて帰宅しても温かいお風呂に入れるわけも無く、1日でめちゃくちゃタバコ臭くなる
髪の毛を洗うのも水とやかんのお湯。
家族が寝静まった家で(母は起きてきてくれたりしましたけど…父は単身赴任中でしたしね。)
遅い夕食を済ませて布団に入れば深夜の2時近く。
そして、3時間後の5時には起き出して仕事に行く用意をして・・・って生活。
ガスが復旧してお風呂に入れるようになっても、鉄道が復旧する7月半ばまでは、
生活リズムはそんな感じで…土日も出勤があったり、実家近辺のお客さんで音信不通に
なっている方を探して、地区担当の営業マンと一緒に避難所とか仮設住宅歩き回ったり。。。

体調はボロボロ。常に頭痛と吐き気とめまいが抜けず、体温も37度を下回ることも無く
(平熱は35.8度くらい)今思うと・・・若かったな・・・と。
もう、今じゃ無理だから…そんな生活。しかも、残業手当も休日勤務手当ても一切無し
だったもん、よく我慢してたと思うわ。。。。。



そんな生活の中で、この新聞記事のホテルが何度かやってくれましたね。

その縦長のシルエットに浮かび上がる光の文字。
「ファイト」 「IKOBE」

夜、取引先の担当者が帰社するのを待って先方に書類を届けに行ったりして、
ホテルに浮かぶ光文字に涙した夜。

ドコにもぶつけられない、やり場の無い怒りと悲しみと徒労感。
生まれ育った街のはずなのに、どこかの戦場のように崩壊した街並み。
懐かしい大好きな街並みはどこにも無く、いつも心のどこかで
見慣れた神戸の街並みを、探していたような気がするあの頃。

あの頃の気持ちが一気にどこか奥の方から噴出してきて、
今頃になってまさかの号泣になるなんて。。。。。。。



家を失った訳でもなく、家族を失った訳でもなく・・・・・・
それでも、未だにこんなにひきずっているんだな・・・と。
そのことが自分でも若干ショックだったり。。。。。。。。
やっぱり私は、この町が好きなんだなぁ・・・と改めて思ったり。

えぇ~い!負けてたまるかっ!!! (・・・・・・ナンに?)

報道に望むこと 

地震のニュースは胸が痛む・・・・・

2階建てなのに大人の背丈ほどに倒壊した木造家屋の映像に、
12年前の記憶がオーバーラップする。



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暗闇の中のケーキ屋 

阪神淡路大震災で、町内の8割がたが倒壊した地域に、そのケーキ屋はあった。


夫婦2人で切り盛りするケーキ屋。



特に雑誌に取り上げられるわけでもないが、地元の人たちからは愛される「おらが町のケーキ屋」だった。


私がまだベビーカーに乗せられて、両親に連れられていた頃から・・・
実家でもなじみのケーキ屋さんだった。

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記録写真 

人は、ナゼ写真を撮るのだろう?


移り変わり行くものの「今」の姿を残したい・・・・
変化するものの「瞬間」を切り取っておきたい・・・・


「今」しかないものを「その後」に伝える手段・・・・
それが写真なのか?。。。。。。。




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水の日 

11年前の春分の日・・・もしくは、その直後の土曜日に、当時の白やぎの実家は、水道が復旧した。


残念な事に、正確な日付は覚えていないけれど、3月の20日~22日頃で、仕事が休みで自宅にいた日なので、春分の日か土曜日・・・だったと記憶している。



水道は使えなかったけれど、井戸が地震から2ヶ月以上もの間、我が家だけでなく、近隣の何十軒ものお宅の生活用水を支えてくれた。
一番近い給水所であった、小学校の校庭までは、国道を越えて、川を越えて、約1kmの道のりを行かなくてはならなかった。


阪神間の川といえば、そのほとんどが「天井川」。芦屋市内を流れる芦屋川などは、川の流や土手などが橋になっていて、その下をJRの線路が通過する・・・と言う、珍しい状態になっているほど。
川を越える事は、坂道を上がり下がりするということで、年配者の多かった実家近辺では、重たい水を持っての1kmの上がり下りは辛すぎる。



川も国道も越えなくて済む、我が家の井戸と、1本隔てたマンションの井戸・・・2つの井戸が地域の「命の水」になった。



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「報告書」のかわりに・・・ 

午後になると、どこからとも無くしょうゆの甘辛い匂いが漂ってくる・・・春先の阪神間では、ごく、当たり前に感じられる穏やかな春の風・・・。




あの年の春には、そんな風が吹く事もないのでは・・・心配もしたけれど、毎年と変わらずに、甘辛い風が街に漂いました。




体育館の軒先で、カセットコンロを出して、くぎ煮を炊く。


公園の隅にかまどを作って、くぎ煮を炊く。




自宅が崩壊し、住む場所をなくし、避難所や仮設住宅、公園で生活しているのに、いかなごのくぎ煮でも無かろう?


そう思う人は多いかもしれないけれど、春になればくぎ煮を炊く・・・それがこの街の慣わし。季節の行事。
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