HP制作 こころに太陽 Ⅱ 記録写真

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記録写真 

人は、ナゼ写真を撮るのだろう?


移り変わり行くものの「今」の姿を残したい・・・・
変化するものの「瞬間」を切り取っておきたい・・・・


「今」しかないものを「その後」に伝える手段・・・・
それが写真なのか?。。。。。。。




12年目の冬、たくさんの「写真を撮る人」の姿を見た。



未曾有の大震災の爪あとをカメラに収めようとする彼ら。



報道関係がいた。

倒壊した我が家を収める被災者もいた。

通勤途上を順を追って写している人もいた。






一番目に付いたのが・・・・・・「お気楽見学カメラマン」






何一つ、普段と変わらない格好をして・・・・
自分たちは、何も怖い思いも、不自由な暮らしもしていなくて・・・・

ただ、話の種に「被災地見物」に来た人々!





年齢とか関係なかった。




職場の本社のエライさん達だって・・・・・その中の一人じゃん。







仕立のよいスーツ姿で・・・・革靴はいて・・・・・


緊急車両でもないのに、黒塗りの‘お車‘で神戸入り~♪






「時間がかかった」
「来るだけで疲れた」
「こんなしんどい思いして‘来てやった‘」



だったら、来んなぁ~~っ!!





本気で「視察」するんだったら・・・・・自分の足で歩いてみろ!
壊れた街の臭い、取り壊しの埃っぽさ、絶え間ない重機の音と振動・・・・


自分の身体で感じてこその「視察」じゃないのか?




そんな‘偉い人‘が、たくさん神戸にやってきた。









休みの日になれば、たくさんの「大阪」「なにわ」「和泉」「京都」など、阪神地区近郊のナンバープレートをつけた車がやってきて・・・・

観光地のように写真を撮っていった。





倒壊した家屋の前で、Vサインでポーズを取る恋人達。



家人が亡くなっていることを知らせる張り紙の前で・・・・笑顔で何枚も写真を撮り、挙句の果ての会話。

「ねぇ、この家の崩れ方、めっちゃおもろいとおもわ~ん?」


「これって、●●が採って来た写真よりすごいんちゃう?
 これなら絶対、自慢できるって!」




興味本位の・・・・いや、自分たちの‘お楽しみ‘の為の「被災地見物」


吐き気がするほどの嫌悪感を覚えた。






家の中はひっくり返っていたけれど、家屋そのものは緊急に手直ししなくてはいけない程の被害が無かった実家。


ソコに済んでいる私が、同じ町内とはいえ、倒壊した家屋や町の様子を写真に収めることは、彼らと同じことをするような不安と罪悪感があって・・・・・写真は撮らなかった・・・・いや、撮れなかった。撮ってはいけないような気がした。





今になって思う。






記憶が薄れていかないように・・・・・
忘れないように・・・・・
忘れられないように・・・・・・・




あの日、起こった出来事を・・・・・・
壊れた街並みを・・・・・・

へこたれずに歩いた日々を・・・・
助け合った毎日を・・・・
立ち上がってゆく姿を・・・・・・・



自分自身の手で、写真に収めておけば良かったと。。。。。






先月、実家で一枚の写真を見つけた。



たった一枚だけ、私が撮ったあの日の記録写真。
200610091419000.jpg



実家前の道路の排水溝の蓋。

前の週の溝掃除では、あっさりと持ち上げることが出来たけど・・・・・
二度と人の力では持ち上がらなくなった。










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コメント

同じです

この記事を見て鳥肌がたちました。私は当時東灘区に住んでいて買って数年のマンションは全壊でした。私も写真は自宅の中以外にはシャッターを押せませんでした。とても撮れなかった。つらかった。それともう一枚だけ撮影したのが全く同じ、側溝の写真です。全く同じ形でゆがんでました。つらかったなぁ。

私が撮ったのは

全壊し両親が何とか生還したものの祖父が亡くなった自宅。その春、切られる事がわかっていたのか、見事な満開の花を咲かせた庭の桜の木。自宅が完全に取り壊され更地になる前日の写真です。
でもこの写真。子供たちに見せた以外は誰にも、両親にすら見せることが出来ません。伝えること、忘れないでいることは大事かも知れないけれど、鮮明な映像は必要ないのかも知れないと思います。

お久しぶりです

立場を変えて物事を考えられない人が多いんですよね・・・
自分が同じ思いをしたら・・・?と考えてものが言えないのかな・・・?と思いますね。
安芸灘地震の時、あの位でも天地がひっくり返ったかと思ったのに、神戸の震災でどれだけ、怖く辛く悲しい思いをされたのだろうかと想像を絶します。
どこで起きるかわからない地震・・・
人事ではないんですよね・・・
>倒壊した家屋の前で、Vサインでポーズを取る恋人達・・・
信じられない・・・何を考えているのでしょう・・・
神戸に去年30年ぶりに行きました。行きたかったけど行けなかった。観光では・・・

>boxerさま

あ、12年前も‘ご近所‘に暮らしていた可能性が!(実家は、東灘との境目の芦屋でした)

この溝蓋もそうですが、歩道のタイルブロックとか、コンクリート製の溝蓋など、南西から北東に向かって亀裂が入ったり歪んだりしていることに気が付いて、地震の揺れの方向が目に見える形で現れていることに驚きました。

地震発生時、妹が既に起きていた(いえ、前夜からずっと起きていた・・・が正解)のですが、「南西から北東の方向に、楕円描いて揺れが回った」と言ったのです。
最初は、笑いましたが・・・実際に地面にはその方向に亀裂が入り、その後のニュースでも揺れの方向が報道され、妹の証言に改めて驚いたことがあります。

新聞社などが発行した震災記録写真集みたいなものを数冊購入しました。
その中の1冊に、見開きページいっぱいに、倒壊した黒やぎの実家が載っているものがあって・・・2週間後に現場に行って実際に目にした光景にも拘らず、よく知っている場所が、ありえない形で出版物に掲載されていることになんとも言えない違和感を感じました。

>ちょこたん さま

10年前に私がココに住み始めた時は・・・更地だらけでした。
塀と門柱だけが残った敷地が、何軒分も並んでいました。

ちょこたんのご実家の跡も、まだ更地のままでしたが、今はきれいなお宅が並んでいて・・・たぶん、ご実家と番地も同じ場所に・・・いもこのクラスメートが住んでいますよ。何かの縁でしょうかね。

誰かに・・・ではなくて、子ども達に見せたかったですね。
子ども達が知っている街の風景・・・私が慣れ親しんだ同じ街のかつての姿・・・両方見せたかった。。。。。
大好きだった場所、もし、子どもが出来たら、是非とも見せたいと思っていた風景・・・みんななくなってしまったから。。。。

今でも、「あ~、もう無いんだよな~」なんて思いながら、お気に入りだった建物や公園の跡地を通ると、涙があふれそうになることもあります。

区画整理をされて、どこの公園も災害時対応型の広くて、見通しが良くて、整理された公園になって行きますが、どこの公園に行っても、全部一緒!
「あそこの公園!」って個性が全然なくなりました。

街並みもそう。「やっぱり○○」って思えるような街並みは、区画整理とともにどんどん消えました。
仕方ないことなのかもしれないけど・・・地震がなくても、やがて、そうなっていくことなのかもしれないけど・・・誰の所為でもない、誰にもぶつけられない悲しさとうらみにも似た感情、今も消せないまま抱えています。

>madokaさま

お久しぶりでございます。(嬉)

安芸灘地震、こちらも結構揺れました。
強さよりも、揺れ時間の長さに不安を感じましたね。
「まだ揺れてる、まだ揺れてる・・・このままもっと大きな揺れになったらどうしよう!?」
考える時間がありましたもの。

同じ神戸市内でも、町内の倒壊率が80%とかの地区もあれば、北部や西部では、ライフラインが停まることも無く、交通機関が止まる事も無く・・・ごくごく普通の生活が出来る地域もありました。
被害が局地的過ぎて・・・ことの重大さを認識できてない周辺地区の人もいっぱいいました。

でも、局地的被害だったお蔭で、たくさんの支援が得られて、復旧が早かったんですけどね。

神戸観光、ぜひぜひ!おいでください。
地震で人生も生活も変わってしまった人は確かに多いです。
今も、立ち上がりきれない人もたくさんいます。
でも、元気になっていく神戸とその周辺の町、見に来てください。
で、お気に召したものがあれば・・・お土産にお買い上げください♪
それが、また明日の元気と勇気になる人たちが、たくさんいます。

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