HP制作 こころに太陽 Ⅱ お寺の「若さん」

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お寺の「若さん」 

私の実家はクリスチャンホームですが、父方の祖父母は仏教徒でした。
同居していた時期もあり、仏教の法事も何回となく経験しています。
実は・・・祖母と一緒に、亡祖父のために、毎日朝夕2回唱えていた「般若心経」今でも、空で唱えられます

たぶん・・・白やぎ両親が柔軟な考え方の人だったことが、今でも私が般若心経を唱えられる理由の一つではないかと思っています。


クリスチャンの中には‘いこじ‘な人もいて・・・(苦笑)
「日曜日は、ナニが何でもナニがあっても教会 へ行くべき。それ以外に大事なことなんてありませんっ
・・・みたいな方もいらっしゃるんですよ。

日本に昔から伝わる季節の風習・・・たとえば、七夕とか。お彼岸におはぎ(ぼたもち)を作る…とか。
そう云うことって、仏教や神道のまつりごとの名残であったり、儒教の流れから来たものであったり・・・・そんなものがほとんどだと思うのですが、だから、全部ダメ
教会には関係ありません クリスチャンには必要ありません
・・・・実は、そう云う考え方のクリスチャンも・・・・実際にいるのが事実です。


・・・・・が、私の両親は、そう云う行事などを「宗教」としてではなく、「自分が生まれた国に伝わる風習」として、私達姉妹に教えてくれる人でした。
近所の神社の秋祭りにも連れて行ってもらいましたよ
お祭りが秋に多い理由は、日本はお米の国で、お米は秋に実るもので、一年間、一生懸命お世話をした稲が米として実ったことを感謝する気持ちがお祭りの始まりなんだよ・・・とか。
ちゃんと、そう云う話も年齢に応じて話してくれました。
もちろん、神社で参拝したりおみくじを引いたり・・・ってことはありませんが、縁日でりんご飴を買ってもらう…みたいな楽しいことも、教えてくれました。


両親がそう云う感じだったのは、父方の祖父が「各家庭に一人の神さま」って考え方の人だったからのようです。
世間から外れたようなことをせず、宗教として広く認められている神さまであれば、何教でなければならない・・・とは言わない。
ただ、一つ屋根の下で暮らす家族全員が、同じ神さまを信じて、感謝の気持ちを忘れずに過ごすなら、親子であっても自分は口出ししない。
そう云う祖父でした。
祖父母は、浄土真宗を熱心に信じている人でした。

法事になれば、明石の菩提寺から和尚さんがおいでになります。
お盆やお彼岸の忙しい時期には「若さん」と祖母がお呼びしていた、和尚さんの息子さんが来られる事もありました。

「若さん」は普段は会社勤めをされていて・・・お寺が忙しい時期だけ、ご住職の息子さんとしてのお勤めをなさる方でした。


やがて、ご住職もご高齢になられ・・・ある年の法事に和尚さんと「若さん」お2人でお見えになり、仏壇の中のご先祖さんと集まった親戚一同とに、住職交代のお知らせがありました。

その日から「若さん」は「和尚さん」になられたのですが、祖母はずっと「若さん」とお呼びしていましたね。



この「若さん」が、また、さばけた(失礼!)なお方で・・・。
お寺のご住職でありながら、イスラム教のコーランやキリスト教の聖書にも興味を持ってお読みになったり、世界各国の神話が大好きだったり・・・法事のお経の後には、私達孫一同を集めて、仏教を中心に時には他の宗教の話題も交えて「信じる心」「感謝の気持ち」をテーマに、お話や雑学をご披露くださいました。

それが、子供心に楽しくてねぇ~

孫達の一番年齢が小さい子に合わせてお話をしてくださるのですが、孫達の年齢が大きくなれば、お話の内容もレベルアップしたり


今でも、あの頃に「若さん」からお聞きしたお話、大人になってから改めて意味が分かったものや、懐かしく思い出すものがイロイロあります。


私の思い出だけにしておくのはもったいないお話もたくさんありますので・・・今後、ご紹介していきたいと思っています。
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コメント

いいお話です。ぜひとも教えてください。
わたしも過激な新興宗教は別として、いろいろあってよいと思います。突き詰めていくとみな同じところにたどり着くと思います。

私実家もキリスト教でありますが、婚家は仏教。ダンナは般若心境の学校で育っておりまして。色々ごちゃ混ぜ。
結婚してからキリスト教はご無沙汰しちゃってますが、きっと根本は変えられないだろうなーってどこかで思ってます。
生きていくための指針になるもの。それが宗教だから、根本的には同じなんじゃないかって私も思ってます。

般若心境も旧約聖書も読んでみたいけど、なかなか。お話、期待してます~v-238

>boxerさま

ノーベル平和賞を受賞された故・マザーテレサが皆に支持されたのは、自分の信仰心を押し付けたりせず、命を終えようとしている目の前の人が信じている宗教に則って‘お見送り‘をされたからだと思います。

「私はクリスチャンなので・・・」って、社会見学や修学旅行で、寺院の敷地に足を踏み入れないのは、信仰心とはちょっとズレるのではないか・・・と、私は思いますね。

>ちょこたんさま

>生きていくための指針になるもの。それが宗教だから

そうですよね。最近では指針どころか迷いの元凶みたいな怪しげな宗教もあり・・・お金やノルマが絡むようなのは、どこかヤバイよね。

旧約聖書は、物語として読んでも面白いけど(創世記とか)、新約聖書は、最初(マタイによる福音書)から読み始めると・・・・くじけるよね^^;

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